高さは台座と合わせて2.5メートルほど。 山梨県富士吉田市の北部、富士山を望む向原地区の民家の裏に、大きな石碑が立つ。
大きく刻まれているのは、「一億総特攻」の5文字だ。
碑の近くで機織り業を営む武藤源衛さん(72)に尋ねると、「詳しい経緯はわからない」と返ってきた。「子どもの頃から『戦争の碑かな』と思っていたけど。地元の人でも、何の碑か、ほとんど知らないと思う」
刻まれた建立年は、「皇紀二千六百五年」。これは1945年にあたる年だ。いったい何の碑なのか。
近くに住む元高校教員・宮下仁さんも、碑の存在は知っていた。ふじさんミュージアム(市歴史民俗博物館)の館長だった6年前、碑の由来を調査した。
碑には、建立したとみられる「範部隊」の名がある。防衛省や国会図書館、地元の図書館に通って資料を集め、碑の近くに住んでいる20人ほどにも話を聞いた。
その結果、この部隊は太平洋戦争末期、向原地区の一帯に駐屯した陸軍の部隊だとわかった。
部隊は、市北部の山裾に防空壕(ごう)を掘っていたという。壕を掘る兵士たちに、地元の人がおにぎりなどを差し入れていた、との証言もあった。
資料と住民の証言を照らし合わせたところ、掘られた壕は20カ所以上、長さは最大30メートルほどあったとみられる。
目的は、「本土決戦」の準備だった。
戦況が悪化する中、富士吉田…